「こうすればいいのに。」
人の悩みを聞いていると、ついそう思ってしまうことがあります。
私もそうでした。
困っている人がいれば、何とか力になりたい。少しでも状況を良くしてあげたい。そんな気持ちは、ごく自然なものだと思います。
でも最近、その考え方が少し変わる出来事がありました。
ある高齢の知人が施設で生活することになりました。
本人は以前の生活に戻りたいと強く願っています。
その話を聞いた周りの人たちは、善意からさまざまな意見を口にしました。
「もっと自由にできる方法があるんじゃないか。」
「近くで支えてくれる人たちとのつながりを増やした方がいい。」
「こうすれば、もっと本人は楽になるはず。」
どれも悪意ではありません。
むしろ相手を思う優しい言葉です。
ところが私は、その話を聞きながら何も言えませんでした。
実は、ご家族から事情を聞いていたからです。
もちろん、その内容を誰かに話すことはできません。
だから、「実はそう簡単な話ではないんです」と説明することもできませんでした。
その時、あることに気付きました。
事情を知らない人ほど、自由に意見を言える。
そして、
事情を知っている人ほど、慎重になる。
どちらが正しいという話ではありません。
見えている景色が違うだけなのです。
私自身、この経験をするまでは、「何とかしてあげること」が愛だと思っていました。
でも、本当の愛はそれだけではありませんでした。
相手には相手の人生があります。
家族には家族の事情があります。
第三者だからこそ、踏み込まない方がいい場所があります。
善意だからといって、その境界線を越えてしまうと、かえって誰かを苦しめたり、築かれてきた信頼を壊したりすることさえあります。
だから私は、自分にできることだけを続けることにしました。
時々会いに行く。
話を聞く。
笑顔で帰る。
それ以上のことはしません。
以前なら、「もっと何かできるはずだ」と思っていたでしょう。
でも今は違います。
できないことまで背負おうとしない。
それは無関心なのではなく、自分の立場をわきまえた愛なのだと思えるようになりました。
そして、もう一つ学んだことがあります。
私たちは、目の前に見えている情報だけで、人の人生を判断しがちです。
「あの人はこうすればいい。」
「私ならこうする。」
そう思うことは簡単です。
でも、本当はその人にしか分からない事情や、その家族だけが抱えている思いがあるのかもしれません。
それを知らずに口にした一言が、事情を知っている誰かを困らせてしまうこともあります。
だから最近は、以前より一呼吸置いて考えるようになりました。
「私の知らない背景があるのかもしれない。」
そう思えるだけで、人への見方はずいぶん優しくなる気がします。
人を助けることは大切です。
でも、助けることだけが愛ではありません。
相手の人生を尊重すること。
信頼を守ること。
そして、自分が踏み込むべきではない境界線を知ること。
それもまた、静かで温かい愛の形なのだと、私はこの出来事から教えられました。

コメント