本人はそう言っているけれど…

高齢者施設に入居している87歳の知人、難波さんを、私は時々訪問しています。

比較的、家族や知人が訪問しやすい施設なので、私だけでなく、以前から親しくしている人たちも訪ねています。

ある人から、こんな話を聞きました。

「難波さんは外出できないから、いつも外を見ていて、近くに住んでいる人と会って話したいと言っていたよ」

確かに、施設の中で過ごす時間が長くなれば、外の景色を眺めながら、誰かと話したいと思うのは自然なことです。

ところが、その言葉を聞いた人の中には、

「それなら、今までいたグループを離れて、近くのグループに移りたいということなのでは?」

と考える人もいました。

私は少し気になったので、近くに住む知人と一緒に難波さんを訪ね、本人に直接聞いてみました。

すると、返ってきた答えは少し違っていました。

「今までのグループには愛情を感じていて、離れたくない。もちろん、近くの人が訪ねてきてくれるのはうれしい」

そこで私は、「ああ、そういうことだったのか」と思いました。

「近くの人と会いたい」という気持ちと、「今までの仲間と離れたくない」という気持ちは、両立するのです。

さらにその後、差し入れや手紙をめぐっても、本人の気持ちと家族の意向について考えさせられる出来事がありました。

高齢になった人を取り巻く状況では、本人の思い、家族の考え、そして周囲の善意が、必ずしも同じ方向を向くとは限りません。

そんなとき、私はどこまで口を出し、どこからは相手の判断を尊重すればいいのでしょうか。

今回の出来事を通して、そんなことを考えました。

「本人はそう言っている」と言われたけれど

そんな出来事があった後、今度はグループの人から、別の質問を受けました。

「難波さんに差し入れを持って行ったら、施設の人が受け取ってくれたそうです。本人に聞いても、『そこまで制限されていないよ』と言っているそうですよ」

確かに、そう聞くと、

「では、差し入れを持って行ってもいいのでは?」

と思ってしまいます。

ところが、私には家族から別のお願いがありました。

難波さんの長男から、

「飲食物の差し入れ、プレゼント、お見舞い金などは、一切控えてください」

と、周囲の人たちに伝えてほしいと頼まれていたのです。

ここで少し考えました。

本人は「大丈夫」と言っている。

施設の人も、差し入れをその場では受け取ってくれた。

それなのに、家族からは「控えてほしい」と言われている。

では、私はどうすればいいのでしょうか。

本人の気持ちを無視したいわけではない

実は、私は家族の判断がすべて正しいと思っているわけではありません。

本人が何かをしたいと思っているのなら、その気持ちも大切にしてあげたいと思います。

実際、難波さんが施設に手紙を出そうとしたときのことを、施設から家族への電話で知りました。

施設の方が、

「難波さんが手紙を書いて、切手を貼った封筒を提出されました。どのようにさせていただきましょうか」

と家族に確認したところ、長男は「僕が預かります」と答えたそうです。

結果として、その手紙は本人の意思だけでは相手に届けられませんでした。

その話を聞けば、「本人がかわいそう」と感じる人がいるのも無理はありません。

私自身も、いろいろ考えさせられました。

それでも、私が判断することではない

では、家族の判断に疑問を感じたら、それを無視していいのでしょうか。

私は、そうは思いません。

私には家族から、「こういうことは控えてほしいので、皆さんに伝えてください」と明確なお願いが来ています。

だから私は、そのお願いを皆さんに伝えます。

それは、

「長男さんの考えが絶対に正しい」

と思っているからではありません。

まして、

「難波さん本人の気持ちはどうでもいい」

と思っているわけでもありません。

ただ、私は家族から託された立場にあるので、その意向を尊重しているのです。

ここは、意外と大切なことなのかもしれません。

「自分が正しいと思うこと」と「相手の判断を尊重すること」は、必ずしも同じではありません。

相手の判断に疑問を持ちながら、それでも相手の立場を尊重することはできます。

周囲の善意も、時には難しい

難波さんを訪問する人たちは、皆さん悪気があるわけではありません。

「何かしてあげたい」

「喜んでもらいたい」

「寂しい思いをしているなら、少しでも楽しくしてあげたい」

そんな気持ちから、差し入れをしたり、何かをプレゼントしたりしたくなるのでしょう。

だからこそ、家族から「控えてください」と言われると、納得しにくい人がいるのも分かります。

「本人は喜ぶのに」

「施設も受け取ってくれるのに」

「そこまでしなくてもいいのでは?」

そう思うのも自然です。

でも、私たちには見えていない事情があるのかもしれません。

健康上のこと、金銭的なこと、施設との取り決め、家族にしか分からない事情。

外から見ただけでは分からないこともあります。

だから私は、分からない部分まで推測して、誰かを悪者にすることはしたくありません。

できることは、まだたくさんある

差し入れができない。

プレゼントもできない。

お見舞い金も渡せない。

そうなると、「では、何をしてあげればいいのだろう」と思ってしまいます。

でも、難波さんが本当に求めているものは、物だけではないのかもしれません。

「誰かと話したい」

「誰かが会いに来てくれるとうれしい」

それなら、会いに行って話をすることはできます。

近況を聞いたり、昔の話を聞いたり、一緒に笑ったりすることもできます。

「近くの人と会いたい」と言っていた難波さんにとって、実際に近くから訪ねてくれる人がいることは、それだけでもうれしいことでしょう。

物を渡すことだけが「何かをしてあげる」ことではありません。

本人の気持ちを大切にしながら、出しゃばらない

今回の一連の出来事を通して、私は一つのことを考えるようになりました。

高齢になった人を取り巻く問題は、外から見るほど単純ではありません。

本人にも気持ちがあります。

家族にも考えがあります。

施設にもルールがあります。

そして、周囲の人にも「何かしてあげたい」という善意があります。

それぞれが悪いわけではないのに、時々ぶつかってしまいます。

そんなとき、すべてを自分の判断で解決しようとしないことも大切なのかもしれません。

本人の言葉は、本人の言葉として大切にする。

家族から託されたことは、その意向を尊重する。

そして、自分が知らない事情については、勝手に決めつけない。

私はこれくらいでいいのではないかと思っています。

難波さんが「今までの仲間と離れたくない」と言うなら、その気持ちを大切にする。

「近くの人とも会いたい」と言うなら、近くの人が会いに行けばいい。

そして、家族から「差し入れなどは控えてほしい」と言われたなら、それも尊重する。

本人の気持ちを大切にすることと、家族の意向を尊重することは、必ずしも対立するものではありません。

その間で、自分にできることを静かに続ける。

今回の出来事から、私はそんなことを学びました。

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