『清掃の限界です』と言う前に、私が50分間汗を流した理由

仕事をしていると、できれば受け取りたくないメールがある。

「ご指摘」という、丁寧な言葉で書かれたメールだ。

先日、そんなメールが私のところに届いた。

「入居したのですが、拭けば落ちる汚れが残っていて……」

メールには、気になる箇所の写真まで添えられていた。

「あ……」

一瞬、嫌な汗が出た。

もちろん、こちらとしても手を抜いたつもりはない。作業後の自分のチェックでは、十分に「合格ライン」に達していると思っていた。

だからこそ、最初に頭に浮かんだのは、もっともらしい説明だった。

「こちらは規定通り作業しています」

「古い建物なので、経年による汚れもあります」

「入居までの間に、ほこりが溜まったのかもしれません」

人間の頭というのは、面白い。

何かを指摘されると、反省するより先に、自分を守る理由を探し始める。

ちょうどその頃、私は聖書に出てくるサウル王のことを考えていた。

サウルは、なぜ言い訳をしたのか

サウル王が神から間違いを指摘された時、素直に「私が悪かった」と認めることができなかった。

「民がそうしたのです」

「神に犠牲を捧げるためでした」

そんなふうに、自分以外のところに理由を置こうとした。

人間としては、実によく分かる反応だと思う。

自分が悪いと認めるのは、案外難しい。

まして、自分は一生懸命やったと思っている時なら、なおさらだ。

「でも、ちゃんとやったんです」

この一言は、本人にとっては説明でも、相手からすると弁解に聞こえることがある。

今回のメールを見た時、私はそのことを思い出した。

そして、返信を書く前に決めた。

今回は、説明より先に現場へ行こう。

「清掃の限界です」と言う前に

お客様のお宅に着くと、とても温厚で丁寧な方が迎えてくださった。

しかも、

「お忙しいのに、わざわざ来てもらってすみません」

とまで言ってくださる。

こちらが恐縮するほどだった。

けれど、実際に見せてもらうと、お客様が気になった理由が分かった。

空気口の奥。

浴室ドアの細かな隙間。

サッシの下。

普段なら見落としてしまいそうな場所にも、確かに汚れが残っている。

入居したばかりの人が、部屋をきれいにしようと思って雑巾をかけたら、真っ黒になった。

それなら、気になるのも当然だ。

そこで私は、言葉で説明するより先に、道具を取り出した。

ノズルを入れる。

ヘラを入れる。

ブラシを動かす。

サッシの角を攻める。

「ここまでやったら、さすがに取れるだろう」

と思っても、まだ残っている。

長年の汚れは、簡単には降参してくれない。

気がつけば汗だくになっていた。

約50分。

ひたすら手を動かした。

そして、作業を進めながら、お客様にも見てもらった。

「ここはこういう状態になっています」

「ここまでやると、ここまでは落ちます」

「でも、この部分は素材や長年の経過による限界があります」

最初から、

「これは清掃の限界です」

と言っていたら、ただの言い訳に聞こえたかもしれない。

でも、できるところまで実際に落として、その過程を見てもらった後なら、同じ言葉でも意味が違ってくる。

「本当に、ここまでやってくれたんですね」

そんな納得につながる。

50分の汗が教えてくれたこと

作業が終わるころには、最初にあった「ご指摘」という空気が、すっかり変わっていた。

もちろん、すべての汚れを新品同様にできるわけではない。

古い建物には、素材そのものの劣化もある。

清掃には、どうしても限界がある。

でも、お客様が本当に求めていたのは、「絶対に汚れを一つも残さない超人のような清掃員」ではなかったのかもしれない。

自分が気になったことを、ちゃんと受け止めてもらえた。

その安心感だったのではないだろうか。

そう考えると、今回の50分は、単に汚れを落とすための50分ではなかった。

「あなたの言っていることを、私はちゃんと見ています」

と、行動で伝える50分だった。

ダビデの潔さを思い出した

聖書には、サウルとは対照的な人物としてダビデが登場する。

もちろん、ダビデも失敗した。

しかも、とても大きな失敗をした。

しかし、預言者ナタンから間違いを指摘された時、ダビデは長々と言い訳をしなかった。

「私はエホバに対して罪を犯しました」

と認めた。

この違いは大きい。

失敗しない人と、指摘された時に素直になれる人は違う。

私は今回の出来事を通して、そのことを改めて感じた。

仕事をしていれば、これからも「ご指摘」は届くだろう。

そのたびに、自分を守りたくなるかもしれない。

「ちゃんとやりました」

「仕方なかったんです」

「こちらの責任ではありません」

そう言いたくなることもあるだろう。

でも、そこで一呼吸置いて、

「まず、見に行こう」

と思えるかどうか。

そこが大切なのかもしれない。

クレームは、信頼を失う瞬間とは限らない

「クレーム」と聞くと、普通は「信頼が崩れる瞬間」を想像する。

でも、今回の経験で少し見方が変わった。

ご指摘を受けた瞬間は、信頼が崩れる瞬間ではなく、信頼を作り直せる瞬間なのかもしれない。

もちろん、何でもこちらの責任だと認めればいいわけではない。

事実を確認することも必要だし、できないことを約束する必要もない。

ただ、最初から自分を守ることだけを考えない。

まず相手の目線で見てみる。

そして、できることを実際にやってみる。

それでも限界があるなら、その時に説明する。

言葉より先に、行動する。

今回、汗だくになった50分間は、私にそんな当たり前のことを教えてくれた。

完璧なプロになるのは難しい。

でも、

指摘された時に、素直に軌道修正できるプロになることはできる。

そしてもしかすると、お客様が最後に覚えているのは、「最初から完璧だった人」ではなく、

「何かあった時、ちゃんと向き合ってくれた人」

なのかもしれない。

サウルの失敗とダビデの潔さ。

3000年ほど前に記された人間模様が、まさか自分の仕事場で、こんなにもリアルな形で登場するとは思わなかった。

今回の「ご指摘メール」は、私にとって少し嫌なメールだった。

でも、50分間汗を流した後には、

「このメールが来て、よかったのかもしれない」

とさえ思えた。

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