ハウスクリーニングの仕事をしていると、現場に着いた瞬間から気が重くなることがあります。
特に、油でベタベタになったキッチンです。
レンジフードを見て、コンロを見て、壁を見て……。
「うわぁ、これは大変そうだな」
まだ何も始めていないのに、もう疲れたような気持ちになります。
今日もそうでした。
でも、いつも不思議に思うのですが、いざ作業を始めると、少しずつ気持ちが変わってきます。
まず一カ所を磨きます。
汚れが少し落ちます。
もう一カ所やってみます。
さらにきれいになります。
そうしているうちに、最初に感じていた「気が重い」という気持ちが、いつの間にか消えています。
結局、汚れを落とす前に、まず自分の気持ちを整える必要があるのかもしれません。
そんなことを考えていて、ふと思い出したのが、ペテロ第一4章1節の言葉です。
「キリストは肉において苦しまれたのですから、あなたがたも同じ心構えで身を固めなさい」
英語では、ここに arm yourselves という表現が使われています。
「準備する」というより、戦いに備えて武装するという感じです。
これは、なかなか面白い表現だと思います。
苦難が来てから慌てて心の準備をするのではなく、あらかじめ心を整えておく。
「大変なことが起きるかもしれない。でも、その時にはキリストと同じ心構えで向き合おう」
そういう心を、前もって身につけておくのです。
考えてみれば、仕事でも似たところがあります。
油まみれのキッチンを見て、
「今日は楽な現場だ」
とは思いません。
むしろ、
「これは時間がかかりそうだな」
「大変そうだな」
と思います。
でも、それを分かった上で、手袋をします。
道具を出します。
洗剤を準備します。
そして、まず一カ所に手をつけます。
汚れは、こちらの気持ちを待ってはくれません。
だから、気持ちが乗るのを待つより、先に動き始めます。
人生の苦難も、もしかすると同じなのかもしれません。
苦難そのものがなくなるわけではありません。
気が重くなることもあります。
「どうしてこんなことが起きたのだろう」と思うこともあります。
それでも、苦難に直面する前から心を整えておくことはできます。
「こういう時こそ、キリストのような心構えを持とう」
そう決めておくのです。
すると、苦難がなくなるわけではなくても、苦難を迎える自分の立ち位置が変わります。
油まみれのキッチンを前にして、今日も私は気が重くなりました。
でも、手袋をして、道具を持って、まず一カ所に手をつけました。
そして、少しずつきれいになっていきました。
もしかすると信仰も同じなのかもしれません。
「強くなってから苦難に立ち向かう」のではなく、苦難に立ち向かうための心構えを、あらかじめ身につけておく。
そして、その時が来たら、まず一歩を踏み出す。
今日も油まみれのキッチンに向かう前に、そんなことを考えました。
苦難を避けることだけを考えるのではなく、苦難に立ち向かえる心を、普段から身につけておく。
それが、聖書のいう「arm yourselves」という言葉なのかもしれません。

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