ハウスクリーニングの仕事をしていると、部屋に入った瞬間に「うわ……」と思うことがあります。
その代表が、ひどいヤニ部屋です。
壁も天井も黄色く変色しています。
長年のタバコの煙が染みついていて、部屋に入っただけで独特の臭いを感じます。
「これは大変そうだな」
正直、そう思います。
できれば、もう少しきれいな部屋を担当したかった。
そんな気持ちになることもあります。
でも、そこでふと考えました。
これは英語でいう attitude なのかもしれない、と。
Attitude は、ある物事に対して自分がどういう「態度」や「姿勢」を取るかを表す言葉です。
ヤニ部屋を見て、
「うわ、嫌だな」
「大変そうだな」
と思う。
これも一つの attitude です。
その時の状況や気分によって変わります。
今日は元気だから、「よし、やってやろう」と思えるかもしれません。
でも、疲れている日は、
「なんで今日こんな現場なんだ……」
と思うかもしれません。
つまり attitude は、外から入ってくるものに対する、自分の反応に近いのです。
ところが、もう一つ面白い言葉があります。
Disposition です。
これも「心構え」と訳せますが、attitude とは少し違います。
語源をたどると、dis- + position。
つまり、「どこに、どのように置かれているか」というイメージがあります。
表面に出てくる一時的な態度というより、自分の内側がどのように配置されているか。
そう考えると、長年ハウスクリーニングをしてきた人には、ある種の disposition ができているのかもしれません。
ヤニ部屋を見て、
「うわ、ひどい」
と思う。
それでも、
「まず換気しよう」
「この部分からやろう」
「この汚れなら、この洗剤と道具だな」
と、次にすることが自然に出てきます。
「嫌だな」という感情がなくなったわけではありません。
むしろ、嫌だと思っています。
それでも動ける。
ここが面白いところです。
プロになるというのは、嫌な現場を見ても何も感じなくなることではないのかもしれません。
「嫌だな」と思っても、その次に何をするかが分かっている。
長年の経験によって、心と体の中に「こういう時はこうする」という構えができているのです。
これは信仰について考える時にも、何か通じるものがあります。
苦しいことが起きた時、
「前向きに考えよう」
と自分に言い聞かせることがあります。
それは大切なことです。
でも、それだけでは、強い苦難が来た時に心が揺れてしまうことがあります。
その時だけ attitude を変えようとしても、なかなか難しい。
だからこそ、普段から自分の心をどこに置いておくかが大切なのかもしれません。
苦難が来た時に慌てて心構えを作るのではなく、普段から少しずつ作っておく。
「大変なことが起きることもある」
「その時にはエホバに頼ろう」
「キリストならどう考えただろう」
そういう考えを少しずつ自分の内側に配置していく。
そうすれば、いざという時に、それが自分を支えてくれるのではないでしょうか。
ヤニ部屋に入った瞬間、
「うわ、これは大変だ」
と思うことはあります。
でも、その気持ちだけで仕事をするわけではありません。
手袋をします。
道具を出します。
洗剤を準備します。
そして、まず一カ所をきれいにします。
もしかすると、信仰も同じなのかもしれません。
いつも前向きな気分でいることよりも、苦難が来た時にどう向き合うかが、自分の内側にしっかり配置されていること。
それが disposition なのかもしれません。
「大変だ」と感じること自体は、悪いことではありません。
大切なのは、その気持ちに自分のすべてを支配させないことです。
ヤニ部屋を見て「うわ……」と思っても、仕事は始められます。
そして、一カ所ずつきれいにしていけば、やがて部屋全体が変わっていきます。
心も同じなのかもしれません。
その場その場の attitude だけを変えようとするのではなく、長い時間をかけて、自分の disposition を整えていく。
そうすれば、思いがけない苦難に直面した時にも、
「大変だけど、ここから何をすればいいかは分かっている」
と言える自分になれるのかもしれません。

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