一年、言葉を積み重ねてきた。 夜、静かな部屋でキーを打ち、 人を励ましたくて、誰かの背中をそっと押したくて、 自分なりの想いを文章に込めてきた。 それなのに、数字は静かで、世界は変わらないまま。
「この努力に意味はあったのだろうか」 そんな問いが、夜の画面に映る自分の影よりも濃く感じることがあります。
実は、この文章を書いている私自身も、あなたと同じ場所に立っています。
私にとって、ブログを書き始めてもう5年以上が経ちました。
長く続けたからこそ、大きな成果を期待する気持ちもありましたが、正直に言えば、大きな変化はまだ掴めていません。 むしろ、ピークを過ぎて、アクセス数などは3年前より落ちてしまったのが現実です。
「もうやめたほうがいいのかもしれない」
そう思ってもおかしくない状況ですが、それでも、まだここにいる。 手を止めず、今日も何かを書こうとしている。
その事実こそ、すでにあなたが変わり始めているサインです。
根は音もなく、深く伸びる。しかし、土には「手入れ」が必要だ。
成果が見えない時間は、心が試される時間でもあります。 人は、報われないと感じる瞬間に「あきらめる理由」をいくつも思いつけるものです。
“何も起きていない”のではなく、“まだ見えていない”だけではないか。
土の中で、根は音もなく伸びています。 水を吸い、光を探し、芽を出すタイミングを待っています。誰に見せるわけでもなく、ただひそやかに。
しかし、ひたすら水をやり続けても、土が痩せていては根は十分に育ちません。 光を探し続ける言葉も、**情報の鮮度という名の「土」**が古びていれば、読者の心には届きにくくなります。
「書き続ける」ことと、「手入れをする」こと
5年書いて、何も変わらなかったように見える。でも、本当にそうでしょうか。
実は私自身、状況を打開するために、ある行動を始めました。それは、過去の記事、つまり**「古い畑の土」を耕し直す作業**です。
全ての古い記事の情報を鮮度を保つようにリライト(メンテナンス)することに着手して、まだ2週間です。
「焼け石に水かな」と思いながらも、ひそかに「手入れ」を続けた結果、不思議なことに、少しずつですが、ポツポツと読まれる記事が増えてきたのを実感しています。まるで、地中で手入れされた根が、ようやく地上に顔を出す準備を始めたかのように。
これは、書き続ける**「水やり」を続けた上で、「土を耕す(メンテナンスする)」**という、**継続の「質」**を変えたことで起きた小さな変化です。
あなたの文章は、
- 半年前より柔らかくなっていませんか?
- 読者のことを思う時間が、少し長くなっていませんか?
- 過去の言葉に手を加え、土を耕すという、新しい知恵が生まれていませんか?
数字が変わらなくても、あなた自身の内側の変化こそが、きっと一番価値のある変化です。
大きな炎にならなくてもいい。 今日の言葉が、小さな灯りならそれでいい。
急いで種を蒔き続けることだけが、成長ではありません。 立ち止まって、過去の言葉に心を注ぎ、メンテナンスという手入れをする道もまた、深く届くものを育てるために必要な時間です。
深く届くものは、いつも静かに育ちます。
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