【4月版】自転車で「やらない」と決めたこと|警察の前でも堂々と走るために

4月になりました。街には新生活を始めたばかりの初々しい姿があふれ、空気もどこか新鮮に感じられます。

自転車の取り締まりが厳しくなると言われる中で、正直に言うと、私は少し緊張しています。これまでは「捕まらないように気をつける」という、どこか受動的な姿勢でハンドルを握っていたからです。

でも今回、自分の中でひとつ決めました。 「気をつける」ではなく、「やらないと決める」。 曖昧な意識ではなく、行動そのものを根本から変えることにしたのです。

先日のヒヤッとした体験、そして何より、あの時感じた「胸の痛み」をきっかけに、私が自転車で「やらない」と決めた5つのことをまとめます。


① 傘さし運転はしない

・なぜやりがちか 雨の日、レインウェアを着るほどではない小雨の時や、目的地がすぐそこの時。「少しの間だし、面倒だから傘でいいか」という甘い考えが顔を出します。

・何が危ないか 傘をさせば当然、片手運転になります。急な飛び出しに対応できず、ブレーキも片方しか効きません。さらに視界も遮られ、風に煽られればバランスを崩すのは一瞬です。

・自分の気づき 以前、傘をさして走っていた際、風にハンドルを取られ、危うく歩行者と接触しそうになったことがあります。「自分は大丈夫」という根拠のない自信が、どれほど他者を危険にさらしていたか。その時のヒヤッとした感覚が、今も指先に残っています。

正直に言うと、
「このくらい大丈夫だろう」と思いながら走っていた自分がいました。

👉 もう、雨の日に傘をさしてハンドルを握ることは二度としません。


② スマホを見ながら走らない

・なぜやりがちか 通知が鳴ったから。地図を確認したいから。ほんの数秒なら止まらなくても大丈夫だろうという、日常に潜む「慣れ」が原因です。

・何が危ないか 視線が下を向いた瞬間、周囲の情報は完全に遮断されます。時速15kmで走っていても、1秒で約4メートル進みます。その4メートルの間に子供が飛び出してきたら? 想像するだけで背筋が凍ります。

・自分の気づき 画面に気を取られ、信号が変わったことに気づくのが遅れた時、周囲の冷ややかな視線を感じました。それは単なるマナー違反への視線ではなく、「凶器を扱っている自覚がない人間」への正当な警戒心だったのだと気づかされました。

狭い歩道をゆっくり走っていた時のことです。
先の信号ばかり気にしていて、正面の自転車への反応が遅れました。

慌ててブレーキをかけた瞬間、バランスを崩し、
そのままゆっくりと転倒。

左のハンドルが、そのまま胸に突き刺さりました。

「ドンッ」という鈍い衝撃と同時に、息が止まる。

幸い、衝突は避けられましたが、
その後3週間ほど痛みが続き、完全に違和感が消えるまでには2ヶ月近くかかりました。

👉 「止まってから見る」という当たり前のルールを、徹底して守り抜きます。


③ 逆走は絶対にしない

・なぜやりがちか 目的地が反対側にある時、横断歩道まで行くのが面倒で「ちょっとだけ逆送してショートカットしよう」というショートカットの誘惑です。

・何が危ないか 自転車は軽車両であり、左側通行が原則です。逆走は、正しい方向から来る自転車やバイクと正面衝突するリスクを飛躍的に高めます。相手からすれば、まさか逆から来るとは思っていないからです。

・自分の気づき 向こうから正しく走ってきた自転車と鉢合わせになり、お互いに急ブレーキをかけた時のあの沈黙。ルールを無視しているのは自分の方なのに、一瞬でも「邪魔だな」と思ってしまった自分に、強い嫌悪感を抱きました。

正直に言えば、この「ショートカット癖」が一番しぶといです。
「ちょっとだけ」が積み重なっていたのは、他でもない自分でした。

👉 左側通行という「当たり前」を、どんな時も愚直に守ります。


なぜ「やらない」と決めたのか

ここで少し、自分の考えを整理させてください。 なぜ「気をつける」では不十分なのか。それは、**「人は必ずミスをするから」**です。

「気をつける」という意識は、体調や気分、その時の忙しさに左右されます。余裕がない時は、その意識の網目からポロリと不注意がこぼれ落ちてしまう。だからこそ、ルール化して、自分の選択肢から消してしまう必要があるのです。

「人は気をつけてもミスする。でも、やらないと決めたことはミスしない。」

この一行を、私は常に胸に刻んでおくことにしました。


④ 一時停止は必ず止まる

・なぜやりがちか 「誰も来ていないだろう」「見通しが良いから大丈夫」という、自分勝手な予測です。特に慣れた道ほど、足をつくのが億劫になります。

・何が危ないか 一時停止の標識がある場所は、物理的に危険な場所です。そこをノーブレーキで通過するのは、目隠しをして交差点に突っ込むのと大差ありません。

・自分の気づき 「止まったつもり」で減速しただけの時、物陰から勢いよく飛び出してきた自転車に驚かされたことがあります。もし自分があのまま加速していたら……。ルールは自分を守るための防壁であると、痛感した瞬間でした。

自転車も「軽い乗り物」ではなく、
“小さな車両”として扱う意識が必要だと感じています。

👉 標識の前では、必ず足を地面につけて、左右を確認します。


⑤ 「大丈夫だろう」で進まない

・なぜやりがちか 「相手が止まってくれるだろう」「自分が優先だから譲ってくれるだろう」。相手に自分の安全を委ねてしまう甘えです。

・何が危ないか 交通社会において「絶対」はありません。相手が自分に気づいていない可能性、あるいは急いでいて無理な横断をする可能性を排除してはいけません。

・自分の気づき 仕事や日々のタスクに追われ、心が急いでいる時ほど、この「だろう運転」になりがちだと気づきました。心の「余裕」を失うことは、安全を失うことと直結しています。

それでも、また油断する瞬間は来ると思います。
だからこそ、この文章を何度でも思い出します。

👉 どんな時も「かもしれない」を念頭に置き、最悪の事態を想定して動きます。


まとめ:堂々と走るための準備

今回書いたことは、決して特別なことではありません。道交法を守るという、ごく当たり前のことです。

でも、「気をつける」から「やらない」と決めるだけで、運転中の安心感は大きく変わります。警察がいるから背筋を伸ばすのではなく、いつどこで誰に見られても、警察の目の前であっても、堂々と胸を張って走れる運転をする。

その状態が、自分にとっても一番楽で、一番安全なのです。

正直に言えば、あの時の「胸の痛み」がなければ、ここまで真剣に考えていなかったと思います。自分は大丈夫、今までも大丈夫だったから、という根拠のない過信に浸っていたはずです。

でも、あれで済んだのは、ただ**“運が良かっただけ”**でした。 その運を使い果たした時、待っているのは後悔しかありません。

だからこそ、もう同じことは繰り返さない。 4月1日の今日、私は新しく生まれ変わった気持ちで、このルールを私の日常に固着させます。

今日も、安全な一日を。

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