批判コメントが来ても落ち込まなかった理由|事実と感情を分けて読む技術

はじめに

ブログを書いていると、時には厳しいコメントをいただくことがあります。

先日、私が以前書いた「満員電車で足を組んでいて怒鳴られた体験談」の記事にも、かなり辛口なコメントが寄せられました。

ところが不思議なことに、私はほとんど落ち込みませんでした。

もちろん最初の数秒は「うっ……」となりました。

しかし、その後は冷静に内容を分析することができたのです。

今回は、その時に私が考えたことを書いてみたいと思います。

同じようにブログを書いていて、批判コメントに悩んでいる方の参考になれば幸いです。

私の記事に寄せられた批判コメント

元の記事は、満員電車で足を組んで座っていたところ、立っていた乗客から怒鳴られた体験を書いたものでした。

私は記事の中で、

「自分が楽をしたいという気持ちが、周囲への配慮不足につながっていた」

と反省を書いていました。

ところが寄せられたコメントは、想像以上に厳しいものでした。

要約すると、

  • 満員電車で足を組むのは迷惑
  • 立っている人の動線を妨げる
  • 高齢者や杖を使う人には危険
  • そんなことは普通に考えれば分かる

という内容でした。

さらに後半では、

  • 常識が欠如している
  • 仕事ができない人だと思う
  • 自己中心的だ

といった人格評価も含まれていました。

なぜ一瞬ネガティブになるのか

人間ですから、こうしたコメントを見ると一瞬は気持ちが沈みます。

私も例外ではありません。

なぜなら脳は本能的に「否定的な情報」を強く受け取るからです。

100件の好意的な反応があっても、たった1件の厳しいコメントが気になってしまう。

これは多くの人に共通する反応でしょう。

しかし、ここで感情のまま反応してしまうと危険です。

落ち込む必要のないことまで抱え込んでしまうからです。

立ち止まって冷静に考えてみた

私はコメントを読み返しながら、内容を二つに分けて考えました。

一つ目は「事実や意見」。

二つ目は「人格評価」です。

まず、

「立っている人から見ると足元が狭い」

「移動の邪魔になる」

「高齢者には怖い」

これは非常に参考になりました。

実際、私自身が十分に見えていなかった視点だったからです。

一方で、

「仕事ができない」

「共感性がない」

「自己中心的だ」

という部分はどうでしょうか。

これは私という人間を実際には知らない相手による推測です。

もちろんそう感じた理由はあるのでしょう。

しかし、事実として確認できる内容ではありません。

つまり、このコメントには

「学ぶべき部分」

「背負う必要のない部分」

の両方が含まれていたのです。

相手にはどう返したか

私は長々と反論しませんでした。

また、自分の事情を説明して弁解もしませんでした。

返信したのは感謝だけです。

「立っている方から見た視点について気づかされました。ありがとうございました。」

その程度でした。

なぜなら、コメント欄で勝敗を決める必要はないからです。

私が求めていたのは議論に勝つことではなく、記事をより良くするための意見だったからです。

実際、その一言だけで十分でした。

記事を少しだけ訂正した

今回のコメントを受けて記事も見直しました。

元の記事では、

「なぜ足を組んでしまったのか」

という身体的な理由に多くの文章を割いていました。

もちろん事実ではあります。

しかし読者によっては、

「言い訳している」

と受け取る可能性もあります。

そこで、

「立っている人から見ると動線を妨げる可能性がある」

という視点を補足することにしました。

記事全体を書き換える必要はありません。

ほんの数行追加するだけでも、伝わり方は大きく変わります。

まとめ

今回改めて感じたことがあります。

批判コメントが来た時に大切なのは、

「全部受け入れること」

でも

「全部無視すること」

でもありません。

事実と感情を分けて読むことです。

学べる部分は受け取る。

人格評価や決めつけは必要以上に抱え込まない。

それだけでコメントとの付き合い方はずいぶん楽になります。

ブログを書いている以上、これからも様々な意見をいただくでしょう。

しかし今回の経験を通して、

「批判コメントは怖いものではなく、分析するものだ」

と思えるようになりました。

もし同じような経験をされた方がいるなら、一度立ち止まってコメントを分解してみてください。

意外とそこには、落ち込む必要のない言葉もたくさん含まれているものです。

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