1,000記事を書けなかった人は失敗なのか?──対話で考えるブログ継続の現実

1,000記事を書けなかった人は失敗なのか?──対話で考えるブログ継続の現実


登場人物
A:ブログを始めて数年。100〜300記事で止まりそうな人
B:1,000記事を越えて書き続けている人


A「正直な話をしていいですか。1,000記事まで書けなかったら、やっぱり“失敗”なんでしょうか」

B「多くの人が、心のどこかでそう思っています。でも、答えはかなり単純です。失敗ではありません。

A「でも、ネットを見ると“最低でも1,000記事”みたいな空気、ありませんか?」

B「ありますね。ただ、あれは“結果を出した人のあとづけの基準”なんです。」


そもそも、最初から1,000記事を目標にする人は多いのか

A「みんな最初から“1,000記事書くぞ”って思って始めているんですか?」

B「ほとんどいません。100記事ならイメージできる。でも1,000は、現実感がなさすぎる。」

多くのブロガーは、

  • とりあえず10記事
  • 次に50記事
  • できれば100記事

このあたりを“最初の山”として見ています。

1,000記事という数字は、続いてしまった人が、あとから振り返って見える数字です。


「成果が出るまで続ける」と「何記事書くか」は別の話

A「でも、あなたは最初から“それくらい書かないと成果は出ない”と思っていたんですよね?」

B「はい。それは事実です。ただし、少し意味が違います。」

B「1,000記事書く“覚悟”はあっても、1,000記事を“目標”にはしていませんでした。」

ここが、かなり重要な違いです。

  • 目標:達成・未達で判断される
  • 覚悟:途中で投げないための前提条件

B「“すぐ成果が出ない前提”を受け入れていただけなんです。」


途中でやめた人は、何に負けたのか

A「じゃあ、途中でやめた人は、何に負けたんでしょうか」

B「才能でも、努力不足でもありません。想定とのズレです。」

  • 思ったより伸びない
  • 正解が分からない
  • 時間のわりに手応えがない

この現実に直面したとき、

“ここまでやったのに”と思うか、
“まだこの程度か”と思うか
で、分かれます。


100記事でやめる人と、1,000記事まで行く人の違い

A「結局、何が違うんですか?」

B「能力ではありません。距離感です。」

  • 100記事:まだ“結果”を見に行っている段階
  • 1,000記事:書くこと自体が日常になっている段階

B「1,000記事を書いた人は、うまく言葉にできなくても、こう思っています。」

成果が出るかどうかは分からないけど、今日は書く


書けなかった人は、本当に何も残らなかったのか

A「それでも、途中でやめたら、何も残らない気がして……」

B「そんなことはありません。」

  • 情報を調べる力
  • 文章を組み立てる力
  • 自分の考えを言語化する癖

これらは、記事数に関係なく残ります。

B「1,000記事は“才能の証明”じゃない。“環境と覚悟が噛み合った結果”です。」


では、続けている人は何が違ったのか

A「続いた人は、特別だったんですか?」

B「特別だったのは、“期待値”です。」

  • すぐに伸びないのが普通
  • 間違えるのが前提
  • 無駄になる記事が大量に出る

この前提を、最初から受け入れていた。

B「だから、途中で“裏切られた”と感じなかった。」

AIがあっても「ブログ1,000記事」は書けない──継続に必要なのは“楽”ではなく“楽しい”だった


最後に

A「じゃあ、1,000記事を書けなかった人は、失敗じゃない?」

B「はい。失敗ではありません。」

B「ただ一つ言えるのは、1,000記事は“挑戦し続けた結果の数字”であって、合否判定ではないということです。」

ブログは、向き不向きも、人生のタイミングも大きく影響します。

もし今、途中で立ち止まっているなら、

  • それは能力不足ではない
  • やめたこと自体も、選択の一つ

そう考えていい。

それでも書いているなら、あなたはまだ道の途中です。

 


※この対話は、筆者自身の体験と、同じように書き続けてきた人たちの話をもとに構成しています。すべての人に当てはまる正解ではありませんが、続ける人たちの“共通した感覚”として参考になれば幸いです。
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