LINEで「送信取り消し」は本当に信用を失うのか?【管理者との対立】「無責任」か「配慮」か、デジタル時代の発言責任を問う

🚨 【実話】「送信取り消しは信用を失う」と言われた日:発端となったグループLINEでの出来事

 

誰でも経験があるはずです。

LINEのコメントを投稿した後、数秒後に「しまった!言い過ぎたかな」「誤字で意味が変わってしまった」と焦り、すぐさま「送信取り消し」のボタンを押す。

私は、この機能を「見る人への配慮」や「建設的な会話の維持」のために使っています。

しかし、先日、あるグループLINEの管理者から「送信取り消しは、自分の発言をなかったことにする無責任な行為だ。そんな人は信用できない」と指摘を受け、非常に考えさせられました。

あなたは、送信取り消しが「信用を失う行為」だと思いますか?

本記事は、この疑問に対する私の経験と、デジタルコミュニケーションにおける発言の自由と責任について深く考察したものです。

私たちの間で共有すべき新しい「LINEマナー」とは何なのか。ぜひ、あなたの意見と比べてみてください。


事の発端は、私がグループLINE上で少しネガティブな口論になりかねない内容、または後から読み返して「きつい表現になってしまった」と気づいたコメントを、迷わず送信取り消ししたことです。

数日後、管理者から私宛に「ここでは送信取り消しをしないでほしい」とコメントがありました。

理由を尋ねると、彼ははっきりと主張しました。

「コメントを取り消すということは、自分の発言をなかったことにするという無責任な行為だ。そんな人は信用できない」

私は同意できなかったので、「誰でも入力ミスや投稿後気が変わることはあるでしょう。何かの理由で自分の発言を撤回したい場合、送信取り消しの機能を使ったところで問題はないと思う」と反論しました。

しかし、結局、お互いの考えは平行線。不毛な会話で時間を浪費する結果となりました。

本当に、コメントを取り消したら、自分の発言に無責任になるのでしょうか?

⚖️ 賛否両論の核心:なぜ相手は「無責任な行為」だと主張するのか?

 

管理者の意見は、感情論ではなく、一つの「発言の責任」に対する強い規範意識に基づいていると考えられます。

この議論の賛否両論の核心は、以下の二点に集約されます。

1. 「口頭での会話」と「チャット」の同一視

 

相手にとって、LINEでのチャットであろうと、実際の口頭での会話であろうと、発言の重みは全く同一だという感覚があるのかもしれません。

対面で一度口にした言葉を「今の発言はなし」とは簡単に言えないように、文字に残した以上、その責任を負うべきだ、と捉えているのです。

2. 「動機の決めつけ」による信頼の原則

 

送信取り消しという行為を見たとき、「どうせ都合の悪いことや批判を消したのだろう」「責任から逃れたいのだろう」というように、動機を決めつけてかかっている可能性があります。

その結果、取り消し機能の存在自体が、グループ内の信頼関係を揺るがす「裏切り行為」のように感じられているのかもしれません。

しかし、私はこの考え方を強く否定します。それは、「なぜ消したか」という動機を問わずに、行為そのものを断罪している点で、非常に危険であると考えるからです。

✅ 筆者の反論:「配慮」のための送信取り消しを批判する権利は誰にもない

 

ここからは、送信取り消し機能を「逃げ」ではなく「マナー」として定義づける、私の主張を展開します。

1. 誤りや過ちを訂正するのは「責任感」の現れである

 

本当に無責任な人は、きつい発言や誤字があっても放置します。

「訂正したい」「より適切な言葉にしたい」と再投稿のために取り消しをする動機こそ、相手への配慮であり、発言に対する責任感の証です。

私は、送信取り消しをした後、必ず「先程のコメントは訂正します」などと注釈を入れる(または入れようとする)のは、無責任とは真逆の行為だと考えます。

2. ネット上に「ネガティブな足跡」を残さないための自浄作用

 

口頭での会話と違い、LINEのコメントは文字情報として残り続けます。数ヶ月後、そのやり取りを見た人が、不快な気分を呼び起こしたり、意図せず誰かの陰口のように読まれたりするリスクがあります。

私が送信取り消し機能を使う動機は、まさに「この空間をネガティブではなく、ホットで爽やかな、有益なものにしたい」という、場への貢献意識、つまり見る人への配慮です。

私は断言します。自分の言葉が誰かを不快にさせると気づき、その痕跡を消そうとする行為は、決して責任逃れではありません。

それは、デジタル時代の新しいマナーであり、良識ある参加者の自浄作用であると提言します。

💡 コミュニケーションの解像度を上げる:口頭での会話とLINEチャットの決定的な違い

 

なぜ、これほど意見が対立するのか。

それは、多くの人が「口頭」と「LINE」のプラットフォームの特性の違いを意識できていないからです。

1. 情報の揮発性(消えやすさ)が違う

 

  • 口頭での会話: 記憶は薄れ、情報には「鮮度」があるため、細かな表現は時とともに忘れられます。

  • LINEでのチャット: 投稿は鮮明に、半永久的に残り続けます。不快な情報や誤解を生む言葉はいつまでも消えず、不必要に思い出されるリスクがあるのです。この「痕跡の強さ」を理解すれば、一度投稿したものを削除したいと考えるのは、健全な判断と言えます。

2. 「配慮」の基準が違う

 

  • リアルな会話では、表情や声のトーンで誤解を防げます。

  • LINEでは、文字情報のみで、誤解を生みやすいのが現実です。そのため、「誤解を生まないよう再投稿したい」「言葉足らずだった」という理由での取り消しは、むしろ誤解を防ぐための建設的な行動なのです。


結論:頻繁な使用はNG。しかし「時々の訂正」はデジタル時代のマナーである

 

この議論の結論を再度強調します。

確かに、頻繁に(しょっちゅう)送信取り消しをするのは、やはり投稿前の注意力が足りない証拠であり、相手に「またか」と不信感を抱かせるので避けるべきです。

それは、コメント投稿を軽視していると取られても仕方ありません。

しかし、必要に応じて送信取り消し機能を使うことは、アプリに搭載されている機能であり、他者の信用を失う行為ではありません。

それは、良識ある参加者が「場を乱さないように」「誤解を与えないように」と行った配慮の結果であると断言します。

ただし、相手が「送信取り消しをする人は信用できない」という考えを頑なに譲らない場合は、その相手の意向を尊重し、極力取り消しを避けるのが賢明でしょう。

コミュニケーションの小さな衝突で、大切な友情や人間関係を壊すのは本意ではありません。

コミュニケーションは、お互いの信頼と配慮の上に成り立っています。

機能の善悪を問うのではなく、「なぜ相手はそれを使ったのか」という動機に想像力を働かせることが、デジタル時代の大人に求められる本当のマナーではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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