私は朝日新聞の集金スタッフの一人です。
小遣い稼ぎ程度にこの仕事を続けているわけですが…
時々驚かされることがあるのがなかなか楽しいかな、例えばこんなことです。
新聞の読者から「暉峻淑子さんの連載記事で希望が湧いてきた」とのお声がありました
※上記の記事は「新聞の読者」とありますが、私の担当の顧客の一人のこと。
久々に新聞集金でやる気が出た体験→初対面の顧客から心遣いを受ける
暑い夏でしたが、初対面なのにわざわざ缶飲料を差し入れてくれたことがありました。ちょっとしたことですが、なかなか嬉しいものですよね。
さて、朝日新聞でも缶飲料の蓋を大量に集めて業者に売り、車椅子を買うということを実施しています。
私は集金人なのにそんなことは知らなかった…
ある顧客から、「缶ジュースの蓋があったら提供してほしい」と新聞に書いてあったから集めたとのことで、こんなのを私に差し出しました。
几帳面な方ですね… こんな顧客もいるんだ、とあらためて思いました。
その方は年配の奥さんですが、差し出した時に「朝日さんはまだこの企画をやっているの?」という問いかけがあったので、少しの会話が始まります。
「私自身、そのことは知りませんでした。他のお客様からそのようなことは言われたことはありません。ですが新聞にそのように書いてあったのでしたら、実施中だと思いますので、それをお預かりして翌月返事いたします。」
こう言って、新聞店に持って行きました。確認すると、今でも実施中とのこと。
「お客様からこんなの預かったのですが、何か企画しているのですか?」とあえて尋ねると、大量に集めると車椅子と交換できる、と返事がありました。
「結構提供者がいるのですか?」と聞くと、「それなりにいますよ」と回答。
(ふ〜ん、そうなんだ、私はこの人一人だけだけど)と思いながら「そうなんですね」と返答しました。
しかし、ビールを飲みまくる人だったら自然にたまるだろうけど…写真の量を集めるだけでも結構苦労するだろうなあ、と一瞬思いましたが、
いや、待てよ、家族の複数人が自販機飲料を買った時に意識的に蓋を集めれば、自然にそれくらいの数はいくかも…と考えが変わってきました。
でも、お一人から受け取ったのは、写真のように結局わずかな量。どれくらい集めれば車椅子と交換できるんだろう…とふと思いました。調べたらすぐわかることだと思いますが、この時にはあえて調べず、翌月の集金時にその顧客に蓋を集めていただいたことにお礼を言いました。すると、こんな会話に。
「先月は缶飲料の蓋をありがとうございました。朝日新聞でも集めていて車椅子と交換しているみたいです。」
「お店全体でどれくらい集まっているの?」
「そこのところを聞いてみましたが、それなりに集まってますよ、とだけ言われました。なので、私はどれだけ集まったのかはちょっとわかりませんが… 申し訳ありません」
「そうですか。私が渡したのはほんのわずかだけど、お役に立つようでしたらまた集めておきます」
「ありがとうございます」
この会話を通して思いました。「自分にとって得するわけでもないのに、世の中に少しでも貢献するため、面倒?なことでもしようとする人はいるんだ、と」
個人的には、訪問集金の顧客の質は以前に比べるとだいぶ良くなっている印象です。
それでも、顧客はお金を出す方の立場なので、自分の便宜を優先した発言が多いですね。そんな中で、利他的な人もいるんだと思うと、自分が自己中になっていないか考えさせられます。
時々缶飲料を買って飲みますが、飲んだらすぐにゴミ箱行き。
わざわざ蓋をとって集めて保管しようと気が回ったことがない…
おそらく、自分の勤めや作業に必死のためにそこまで考えるゆとりや余裕がないのでしょう。
ここで、学べたのは、周りが見えなくなるほど忙しくなりすぎるのも考えものですね。
自分の損得感情だけで行動するのは余裕がない証拠。
新聞集金→嫌にならないコツは友好的なお客と少しの会話する余裕
時には時間をかけて部屋を綺麗にしたり、ゆとりを持って人と話したりして、今後は余裕を持って行動しようと考えさせられました。私の場合、結局人のためというより自分のためというのが主な動機かもしれない…
でも、いいです。
いきなり人のために!と意気込むよりも、まずは自分のためであったとしてもそれが普通になってくれば、それに紐づいて自分よりも人の優先のために行動できるようになるでしょう。
ということで、ふとした出来事から、自分の行動を振り返ってみて感じたことを思いつくままに書いた記事になってしまいましたが、最後まで眺めていただきありがとうございました。
では。
スポンサーリンク
コメント