指が10本あるのなら、君にもできるはずだ。――ブログ運営と「自営」という生き方

ブログを書き続けているのに、なぜか結果が出ない。
その感覚に、覚えはないだろうか。

「他人にできたことなら、自分にもできるはずだ」。

この言葉を、あなたはどう受け止めるだろうか。

綺麗事だろうか、それとも真実だろうか。

私はブログを独学で始めて6年、1,550を超える記事をネットの海に放ってきた。

1日のPVは200前後で安定し、読まれる記事の傾向も掴めてきた。

けれど、それで飯が食えるかと言われれば、まだその域には達していない。

そんな時、自営業の友人が放った一言が、私の胸に深く突き刺さった。

「僕も指は10本。私にできたことなら、君にもできる」。

今日は、職人の世界とブログ、そして誰もが通る「運転」のプロセスを重ね合わせながら、この言葉の真意について考えてみたい。

1. 畳一枚から始まった職人の矜持

私の友人は、植木屋を営んでいる。今でこそ自分の腕一本で客を選び、好きな時に休みを取る自由を手に入れているが、最初からそうだったわけではない。 彼もかつては組織に属し、雇われの身として修行を積んできた。ある時、彼は自営へと舵を切った。「雇い主にこき使われるより、仕事や客は自分で選びたい」――その一心だったという。

彼が私に言った言葉が忘れられない。 「スキルがあるなら自分でやったらいい。両手を出して指を数えてみて。……僕も指は10本だ。私にできたことなら、君にもできる。私は最初、畳一枚の広さから始めてここまで来たんだから」

この言葉は、単なる精神論ではない。同じ人間として、同じ条件を備えているのなら、あとは「やるか、やらないか」であり、一歩ずつ「領地」を広げていけるかどうかの差でしかないという、厳しいまでの現実肯定だった。

2. 「運転」ができるようになるまで

私たちが日常的に行っている「車の運転」を思い出してみてほしい。 初めて運転席に座ったあの日、私たちは例外なく震えていたはずだ。重たい鉄の塊を、アクセルひとつで動かす恐怖。左右のミラーを確認し、標識を読み取り、歩行者に気を配る。あんなに複雑で、一歩間違えれば命に関わる行為を、「自分にもできる」と確信していた初心者がどれほどいただろうか。

しかし、教習所に通い、ハンドルを握り続けるうちに、不思議と体が馴染んでいく。 意識して行っていた確認作業は、いつしか「無意識」の反射に変わる。今では、鼻歌を歌いながら、あるいは考え事をしながらでも、目的地まで安全に車を走らせることができる。 それは「才能」があったからだろうか。違う。正しいプロセスを学び、反復し、体が覚えるまで時間をかけたからだ。「指が10本ある」人間なら誰でも到達できる、スキルの平原に立ったのである。

3. ブログという「1,550個の石積み」

翻って、ブログはどうだろうか。 私は6年かけて、1,550の記事を積み上げてきた。これは、植木屋の彼が言うところの「畳一枚」を、少しずつ広げてきた作業に他ならない。 最初は何を書けばいいか分からず、誰にも読まれない日々が続いた。しかし、ある時気づいたのだ。自分が仕事で困ったこと、例えばハウスクリーニングの現場で苦労して解決した体験をありのままに書くと、見ず知らずの誰かが30分も熱心に読んでくれることがある。

それは、私にとっての「路上教習」だった。 どのような言葉が人に届き、どのような構成が最後まで読ませるのか。それを1,500回以上繰り返してきた経験は、オリンピック選手のような天賦の才能ではないかもしれない。しかし、確実に「目的地まで記事を走らせる免許」は取得できているはずなのだ。

4. 「できる」と「稼げる」の間にあるもの

もちろん、現実は甘くない。記事は書けるようになったが、収益はまだ微々たるものだ。ここで多くの人が「やっぱり自分には無理だ」とハンドルを離してしまう。 だが、植木屋の彼も、最初から大きな庭園を任されたわけではないだろう。最初は一本の枝を切り、一枚の葉を整えるところから始まったはずだ。

ブログで飯を食っている人が現に存在するということは、その道は「人間が通れるように設計されている」ということだ。 1日200PVという数字は、毎日200人の人間が自分の店に足を運んでくれている状態を指す。これは自営業として考えれば、とてつもない可能性を秘めた数字だ。あとは、その200人に何を提案し、どう喜んでもらうかという「商売の設計」を、運転技術の上に積み上げていくだけなのだ。

あとは、その200人の中の「たった1人」に深く刺さる記事を増やしていけばいい。


結論:木を切り倒さない限り、桜はまた咲く

「私にできたことなら、あなたにもできるはずだ」。 この言葉をブログに当てはめるなら、私は「イエス」と答えたい。ただし、それは「楽にできる」という意味ではなく、「正しいプロセスを諦めずに踏めば、必ず到達できる」という意味においてだ。

もし、あなたが今、ブログの成果が出ずに悩んでいるのなら、自分の両手を見てほしい。指は10本あるだろうか。もしそうなら、あなたはあのご友人が、そして私が立っているのと同じスタートラインに立っている。

今年、桜が咲いた。週末の雨で花見は満足にできなかったかもしれない。けれど、平日にふと見上げた桜に癒される瞬間がある。そして何より、私たちがその木を切り倒さない限り、来年も、再来年も、桜は確実に咲く。

ブログも同じだ。淡々と、余裕を持って、記事を書き続けること。 「2日に1記事」のような自分なりの規律を守り、一歩ずつ「畳一枚」を広げていくこと。 その歩みを止めない限り、いつか自分の庭に、目指していた大輪の花が咲く日が来る。

指が10本あるのなら、私たちにできないはずがないのだから。

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