あの日、突きつけられた
**「1,200PVで収益は数円」**という現実。
その違和感を抱えたまま、私は自分のブログの管理画面を、ぼんやりと眺め直していました。
なぜ、数字はあれほど動いたのに、何も起きなかったのか。
原因を探すための、終わりの見えないパズルが、静かに始まったのです。
数字の裏側にあった、小さな違和感
それまでは、ただ「PV」という一つの数字が増えることだけを祈っていました。
けれど、じっとデータを眺めているうちに、あることに気づき始めます。
同じ1PV。
でも、その“手触り”が、どうも違う。
一瞬で画面が閉じられたような、冷たい1PV。
その一方で、誰かが腰を据えて滞在しているような、体温のある1PV。
「同じアクセス数でも、中身はまったく別物なのではないか?」
そんな、まだ形にならない仮説が、霧の中から浮かび上がるように頭をよぎりました。
「PV」を一括りにしていた過ち
かつての私は、
100人が1記事ずつ読むのも、
1人が100記事読むのも、
同じ「100PV」だと思っていました。
数が同じなら、価値も同じ。
そう信じて疑わなかったのです。
しかし、現実は違いました。
読まれ方、使われ方、そして読者がその記事に求めている「意味」が、PVごとに決定的に異なっていたのです。
そこで私は、自分の中に一つの言葉を定義することにしました。
PVには、2種類ある。
「消費されるPV」と「回遊するPV」
ひとつは、答えだけをサッと見て、そのまま二度と戻ってこないアクセス。
読者にとっては便利ですが、ブログという場所を消費して通り過ぎるだけのPVです。
そしてもうひとつが、今回の鍵となる
「回遊するPV」。
一箇所に留まらず、記事を読み進め、さらに次の記事へと指が動く。
まるで庭を散歩するように、ブログの中を歩き回る。
そんな、動きのあるアクセスでした。
決定的な違いは「読者の姿勢」
この2つの違いは、数字以上に、読者の「姿勢」に表れていました。
途中で画面を閉じるのか。
それとも、記事の一番下まで辿り着くのか。
読み終えてタブを閉じるのか。
あるいは、次の記事へと自然に指が伸びるのか。
不思議なことに、収益という果実が、わずかでも実り始めるのは、いつも後者――
「回遊するPV」が発生しているときだけでした。
広告がただ表示されるだけでなく、読者に“認識”される。
そこには、どれだけ深くその場所に滞在しているかという、目に見えない「深度」が関係しているように思えたのです。
まだ、仮説の域を出なかったけれど
この時点では、まだ確信があったわけではありません。
ただ、あの「稼げなかった1,200PV」を思い返すと、
それは間違いなく前者――
猛烈な勢いで消費され、一瞬で消えていったPVだったのだと、妙に腑に落ちました。
「じゃあ、この“回遊”を意図的に増やせば、すべて解決するのでは?」
そんな風に、安易に考えた時期もあります。
しかし、その考えこそが、まだ表面的な理解に過ぎなかったことを、
当時の私は、まだ知りませんでした。
▶ 次回予告
次回は、
「回遊は“設計”ではなく“結果”だった」
という話をします。
回遊を狙い始めたとき、
なぜかうまくいかなかった理由。
そこに、このシリーズの核心があります。
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