どうも!
知り合いが10人いるなら、最低一人や二人はいつもギリギリか遅刻する人が必ずいるでしょう。世の中そういうもんです。
もし、あなたが割と時間に余裕を持って行動しているなら、このような人を見ていて理解できない、もしくはハラハラしませんか?
今回はその背景をAI先生に聞いて、自分なりにまとめてみました。
ちなみに前回はこんなことを書きました。
「いつまでも仲良し」の裏に隠された共依存→そこから抜け出せるのか…
さて、結論から言いましょうか。
一般的にはギリギリ癖の人の背景についてはこのように言われています。
- 自己中心的な思考: 他人の時間を尊重するよりも、自分の都合を優先する傾向があるのかもしれません。自分が特別だと感じている場合、他者を待たせることに対して罪悪感を抱きにくい可能性があります。
- 承認欲求の裏返し: 無意識のうちに、人を待たせることで「自分は忙しい人間だ」「自分の時間を調整できるほど重要な人物だ」と示そうとしているのかもしれません。これは、他者からの評価や注目を求める行動の一環である可能性があります。
- 時間管理の困難さ: その人がもし発達障害(特にADHD)の特性を持っている場合、時間管理が苦手なことがあります。衝動的に別の行動をとってしまったり、物事の優先順位をつけるのが難しかったりするため、結果的に遅刻が常態化することがあります。
ちょっときつい言い方になってしまいました。必ずしもそんなことはないという声も聞こえてきそうですが、それもそうだと思います。なぜなら、すべてをシンプルにまとめ上げることなんて不可能なので。
人によって、すべての理由が当てはめるとは限りませんし、特定の要素が強いということは十分考えられます。
ですが、人間社会で生きていく以上そういう人との関わりは避けられないので、その人のことを理解できれば、不必要にストレスを溜めないで済みます。
それで、私はどちらかと言えば、ギリギリ癖があると慌ててしまってロクなことがないので、時間には余裕を持たせている方だと思いますが、逆のタイプの人を受け入れることも必要なので、その辺をAI先生に聞いてまとめてみました。
おおよそこのような回答
↓
一言で言えば、ギリギリ癖は単なる「習性」ではなく、内面的な心理や状況が影響していることが多いです。
分析するとこうなります。
- 時間に対する認識の違い
- 物事を楽観的に捉え、「間に合うだろう」と安易に考えてしまうタイプ。時間の見積もりが甘く、予想外の出来事(交通遅延や混雑など)に対応できません。
- 自己肯定感の低さ
- 自分に自信がないため、注目を浴びることに強い不安を感じます。遅刻をすることで、その場にいる人々の視線や期待を一身に受けることになり、それが一種の自己主張や「注目されたい」という欲求を満たす手段になってしまう場合があります。
- 自己防衛の習性
- 過去に失敗を繰り返してきた人は、「また失敗するかもしれない」という不安から、行動をギリギリまで引き延ばしてしまうことがあります。遅刻することで、もし失敗しても「時間がなかったから仕方ない」と言い訳ができるという心理が働いているのかもしれません。
- 他人への無関心
- 自分の時間を何よりも優先し、他人の時間を尊重するという考えが欠けている場合があります。悪気はないものの、相手を待たせることに対して鈍感です。
この中で、自分の知り合いに関して言えば、行動をギリギリまで延ばしてしまい、失敗、失念があっても時間がなかったから仕方がない、と言い訳できるという部分は共感できます。自分も心当たりがあるので気をつけないといけない…
普通に考えて、ある程度前もって言われていたのに、ギリギリに取り掛かって時間がなかったという言い訳は、通用しないでしょう。
これは、一種の「言い訳のすり替え」と言えるかもしれない…
というのは、本当の理由は自分の時間管理が甘かった、優先順位を間違えた、行動を先延ばしにした、といったことなのに、意識の中で「時間がなかった」という、まるで自分にはどうすることもできなかったかのように思いたい、という心理。
つまり、この言い訳の背景には、自分の非を認めたくない、自己肯定感を保ちたい、ということだと言えるのではないでしょうか?
相手がいつもそうなら、対処方法として、深く追求せずに「そうなんだね」と受け流すのが一番です。その言葉の裏にある「自分の非を認めたくない」という心理を理解することで、あなた自身の心の負担を減らすことができます。
話を戻して、一番目の理由の楽観的だから、というと聞こえはいいのですが、本当にそれは正しい? 逆を言えば、悲観的になってしまう… そうすると言い訳が簡単にパスしてしまうやん… この問題を楽観的で片付けるのはどうも解せない!
では、本当のところは?
このようにまとめることが出来ます。
物事を楽観的に捉えることは、確かに聞こえは良いですが、それが常に良い面だけとは限りません。やはり、楽観主義には、良い面も悪い面も両方あります。そして、「現実を直視すること」も、もちろん非常に大切です。
楽観的には下記のような良い面があります。
- ストレス軽減と心の健康: 楽観的な人は、困難な状況に直面したときでも、「なんとかなる」と前向きに考えます。この姿勢は、ストレスを軽減し、うつ病などの精神的な病気のリスクを下げる効果があります。
- モチベーションの維持: 失敗しても「次はうまくいく」と信じることで、行動を継続しやすくなります。この粘り強さが、成功に繋がることも少なくありません。
- 人間関係の円滑化: 楽観的な人は、周囲に明るい雰囲気をもたらし、人から好かれやすくなります。ポジティブな態度は、人間関係を築く上で大きな強みとなります。
確かに、上記は自分のモチベーション維持の観点でも、円満な人間関係を営む上でも大事です。これは、私も毎日肝に銘じなければならないと思っています。
しかしながら、一方で、物事を楽観的に捉えすぎると、リスクを見落とすことがあります。
たとえば、こんな感じで。
- リスク軽視: 「大丈夫だろう」と安易に考え、事前に準備を怠ったり、危険な状況に気づかなかったりすることがあります。約束の時間に遅れる人も、このタイプが多いです。「なんとかなる」と考えているうちに、取り返しのつかない事態に陥ることもあります。
- 問題の先送り: 困難な問題に直面したとき、「そのうち解決するだろう」と楽観的に考え、現実的な対策を講じないことがあります。結果的に、問題がさらに大きくなってしまうこともあります。
このように「現実を直視する」姿勢は、このような楽観主義の落とし穴を避けるために非常に重要です。
では、どうすればいいのか?
結局は楽観的と現実直視のバランスですね。
何事もどちらか一方だけでは不十分で、
- 現実を直視し、リスクを正確に把握する。
- その上で、楽観的に物事に取り組み、困難を乗り越える力を持つ。
この二つのバランスが取れている人が、最も賢く、そして生きやすいと言えると思います。
言い換えると、
楽観的でありながらも現実を見つめて、鬼努力する。
楽観は人間関係を良くして、取り組みのモチベーションに欠かせない… 悲観だと逆になるから。
一方で現実を見つめないと、いつもなんとかなるだろうと言い訳して努力しない、ということになります。
ということで、長くなりましたが、これで時間のギリギリ癖の心理的に見えない部分をまとめてみたのですが、いかがでしたか?
自分は時間の配分について気をつけていても、何人かはそう考えない人がいます。その人のためにストレスを溜めたくありません。そのためには、相手の心理を理解することは助けになるでしょう。
ということで、今回のレポートは以上です。
一見「普通」に見える人々の心の闇→それを理解すると人間関係が滑らかに
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